「クエルナバカの碧い空」第33号 #4 トピックス ? メキシコのピニャータ メキシコの冬の休暇はクリスマス前に始まって、1月6日の三賢人 TRES REYES ま で続きます。家々はクリスマス・ツリーとキリスト生誕の飾りNACIMIENTOを飾り、 青空を見上げると色彩も鮮やかなピニャータが風に揺れています。中心街には、ク エルナバカでは珍しいネオン飾りまでチカチカと輝いて、雰囲気を盛り上げます。 マリアとホセは、ナザレから9日間かかってベツレヘムに着きましたが、その直後 処女マリアは産気付き、親切な村人に提供された馬小屋でキリストを出産しました。 1587年、僧侶ディエゴ・ソリアは、この故事を祝って、12月16日から24日まで の間、ミサ付きのお祭りを行うことを申し出ました。最初は教会で行われていたこ の習慣が、後に街に、そして家庭に広がって行ったものがポサーダPOSADAです。 知り合いのメキシコ人によると、この間、6回ポサーダが開かれるそうです。 メキシコ人は、世界中どこを探しても、「メキシコほど、この時期のお祝いが華や かに行われる場所は無い」と言います。中でも、子供達にとって一番の楽しみがピ ニャータPINATA遊びです。一説によると、マルコ・ポーロが中国からイタリアへ 持ち帰ったものが、スペインへ渡り、更にスペインから征服者達と共にメキシコに もたらされたと言われるピニャータですが、姿形も色彩もメキシコのピニャータが 一番種類が多くて派手なようです。 ピニャータの遊び方を説明します。まず、ピニャータを綱で木々の間に吊るします。 目隠しをした子供が、順番に棒で叩き割ろうとしますが、綱の両端を持った男たち がピニャータを引っ張っているので、なかなか割れません。何番目かの子供が、つ いに、見事命中すると、ピニャータの本体の壷が割れて、中に入れてあったピーナ ッツ、みかん、ヒカマ、サトウキビ、木の実、アメなどがこぼれ落ちて来ます。そ れを、めがけて、子供達が一斉に駆け寄ります。 様々な形のピニャータが常時売られていますが、この時期には、特にPOSADA用の 星形のピニャータを内職で作って売る人々がいます。我が家のムチャーチャ(お手 伝いさん)のロマーナも、家族総出でピニャータを作って家の前で売っています。 中の壷は、メキシコ州トルーカTOLUCAの近くの小さな村で買いますが、それでも、 出来上がったピニャータは、大きいものでも一個35ペソ(約450円)です。 さて、私達のメール友達の攪上久子さんは、メキシコのAGUASCALIENTESに住んで いた頃、実際に子供達とピニャータ遊びをし、その魅力の虜になりました。立教大 学のラテンアメリカ研究所報に発表した「メキシコのピニャータ」と題する彼女の 論文を読んで、トピックスへ特別寄稿をお願いしました。 以下は、久子さんの研究の成果です。 ************************************* 1月6日の三賢人の日も過ぎ、メキシコのクリスマスも終幕を迎えた頃と思います。 今もPOSADAのフィエスタではピニャータが子ども達によって楽しまれている事と 思います。私が5年前メキシコのアグアスカリエンテスに滞在していた頃、地方都 市でもあったため、子どもたちのお誕生日やPOSADAなどのお祝いの折、何度も何 度もピニャータを経験する事が出来ました。 はじめは生きたものを象ったものが、ぐしゃぐしゃに壊されていくこの遊びを、な んて残酷なこと・・・と思いましたが、やがて、壺がパカーンと割れる時の不思議 な感動とともに、このメキシコの子ども文化が、貧富の差、肌の色を乗り越えて楽 しまれているものであることに大変興味を覚えました。気楽に百科事典でその由来 でも・・と思い立ち、始めたピニャータ研究でしたが、文献や資料がないという現 実は今もそう変わりなく、遅々とした歩みにすぎませんでしたが、足掛け7年の研 究を立教大学のお力添えでまとめることができました。以下にその要約を書かせて いただきますが、関心をお持ちの方やその他の情報をお持ちの方はぜひこのホーム ページを通じてご連絡ください。 ピニャータはメキシコの庶民はメキシコのみの文化だと思っている人が多いが、ス ペインに征服されたラテンアメリカ諸国では様々な形態ではあるが、ピニャータと 呼ばれる慣わしが伝えられている。メキシコ人の多い地域のアメリカ合衆国でもよ く行われるようである。メキシコでは、学校や幼稚園で作ったりする機会があるの で、私が暮らした地方のメキシコ人のほとんどはその作り方を知っていたが、その 由来や意味などは考えた事もないようだった。あたり前に生活の中に溶け込んでい る慣わしだからだろう。 今はほとんどの家庭では、ピニャータは市場や専門店で購入される。高価なものも あるが、庶民にも購入できるような安価なものもたくさんあった。アグアスカリエ ンテスではまだ、壺を使ってあるピニャータが主流だったが、一部壺なしのものも あり、より高価だったが、危険性などを重視する日本人には好評だ。(でも私はこ のただぐしゃぐしゃに壊れていくだけのピニャータに魅力は感じませんでした。) 少し知識階層の人たちになると、これがスペインのカトリックに関連した慣わしで あり、スペインのメキシコ征服とともに精神的支配としてのカトリック布教に伴っ て広められたものであるという事を語ってくれる人もいた。 メキシコのピニャータがどのようにして現在のようなものになったのかは、今のと ころはっきりとはわからないが、ピニャータの起源はイタリアに求められるようだ。 ピニャータの語源はイタリア語で深鍋を意味するpignattaであり、宗教的行事と してイタリアからスペインを経てメキシコにもたらされたということである。イタ リアには四旬節にプレゼントを詰めた深鍋を送る習慣があったという説と、復活祭 の期間中、菓子を詰めた深鍋を天井からつるしてこわしたという説がある)。 いずれにしてもそれがスペインに伝わり、四旬節の第1日曜日(ピニャータの日曜 日domingo de pinata)の仮面舞踏会の時、目隠しをし、菓子を詰めた深鍋を棒で 叩き割る遊びが楽しまれるようになった。スペインではピニャータというと容器よ りもむしろ、そのときの大騒ぎや遊びの方を指したようだ。初期には深鍋は装飾さ れることなくそのまま使われていたようだが、やがて家庭で紙などで飾り付けられ るようになったという。 メキシコへはスペインのメキシコ征服と共にもたらされたというのが一般的だが、 その一方でメキシコには先スペイン時代からピニャータに似た習慣があったとも言 われている。一説によれば、それはテパルカテtepalcateというものだ。テパルカ テとはナワトル語で土器や壺、 またはその破片を意味する言葉で、当時のメキシ コ人は1年に4回、季節の変わり目になると、壺の中に豆、とうもろこし、果物、 野菜などその時期の収穫物を詰め、これをつるして割ったらしい。壺作りには川底 の黒い粘土が使われたが、この粘土には悪霊が宿っていると考えられており、壺を 割るのには厄払いの意味があったらしい。 川底が一層黒々とする12月は一年で最も悪霊が多いとされ、特別に大きなテパル カテを作ったという。当時は大人が、それぞれ自分で切ってきた木の棒を手に、踊 りながら壺をたたき、落ちていたものをひろうと幸運に巡り合うといわれた。やが て子どもも加わるようになり、子ども達の「厄除け」の意も入ってきたという。 また別の説によれば、アステカの神官達が、羽織物や美しい羽毛で装飾した壺に戦 いの神への捧物を詰め、年の終わりに神殿のポールに掲げたという。これを神の誕 生日に棒で割ると、捧物が神の像の足下に落ちるようなしくみになっていたらしい。 スペインはメキシコを征服する際、先住民の精神的支配としてのカトリック布教を 容易にするため、彼らの文化・習慣を巧みに利用したが、先住民の側でも征服者に よる徹底的な破壊を免れるため、自分たちの信仰や伝統を秘かにカトリックの習慣 に重ね合わせ、融合していったという。ピニャータにしてもメキシコに類似した習 慣があったからこそ、このように広く受け入れられていったのだろう。 ピニャータには「厄払い」や、落ちてきた物を分け合い「新しい年の幸運を願う」 といった意味合いに加え、叩き壊すという行為そのものの「おもしろさ」という魅 力もある。アメリカのある文献にはピニャータの意味がこんな風に述べられている。 ピニャータは悪魔そのものを表し、魅力ある格好で無垢な通り すがりの人を誘惑する。中に隠されている物は人々を悪の道に 引きずり込む。目隠しした人がピニャータを割ろうとするのは、 盲信(信じて疑わない強い信仰心)が悪魔をやっつける力をも ち、その手にする棒は善行や徳の象徴、壺が割られて落ちてく る品々は報酬である。信仰がすべてを導いてくれるという教え がそこには語られている。 私はこの説が征服者側の理にかなったものであり、メキシコ人にとっては別の意味 があったのではないかと考え、メキシコのピニャータの特徴である壺に注目して研 究し考察を進めてみた。その内容の詳細は省略するが、壺は各地の古代文明におい て、女性を象ったものであり、信仰の対象であった。それは、全てを生み出す母、 子宮であると考えた。 そして壺という母性の象徴である容器がメキシコのピニャータに取り込まれた事は、 母なる子宮を叩き割ると言うことであり、それは苦しみや困難の伴う出産=誕生を、 また叩き壊すという行為が死をも象徴すると考えれば、再生を意味していると考え た。そこにメキシコ人の葛藤と分断の歴史を重ね合わせると、ピニャータはそれを 乗り越えんとする民族的再生の願いが無意識のうちに反映されているように思える のだ。また、メキシコの人々が壺をピニャータの容器として伝承してきたことには、 民族の母の化身である壺を大切に作り続けてきたという意味もあるのかもしれない。 子どもの誕生日にピニャータが行われ続けてきたのも、健やかな成長を願っての厄 払いだけでなく、誕生日を迎える度に新しい自分・民族を誕生させていってほしい という願いなのだろう。 以上、メキシコのピニャータは、叩いて割らなければならないほどの苦しみを表現 しつつ、母なる壺の子宮から自らの民族の再生を願い続けて伝承され、その願いが あったからこそ、貧富の差やメキシコのタブーとさえ言われる混血の度合いを乗り 越えて、多くの子ども達に喜びや希望をもたらし続けてきたのではないかというの が現在までのわたしの考察のまとめである。ただし、メキシコの子ども達にとって は、ピニャータはこんなにもかしこまった存在ではなく、面白くてお菓子がもらえ る・・・そんな明快な楽しみがあったからこそ今日まで受け継がれてきたのだろうと 思う。メキシコでもアメリカ文化の浸透などで、クリスマスの楽しまれ方も変わっ てきており、ピニャータも壺なしになったり装飾的なものになっていっているよう であるが、私にとってはまだまだ、ピニャータにはたくさんの魅力が詰まっている。 自分にとっても再生や癒しになっている。これからも、大事に見守っていきたい。